代表ストーリー

茶谷 信明代表取締役社長
《学生時代》

「世界を舞台に勝負する」覚悟を決めた大学時代

大学生活をスタートした頃は、スポーツと飲み会に明け暮れる日々を過ごしていました。夏は所属していた社会人サッカーチームの練習や試合、冬は山に出かけてスキー三昧……そしてスポーツの予定がない日は飲み会ばかり。ビジネスへの意識は芽生えていませんでした。

あるとき、そんな僕を見兼ねた兄が「酒に溺れてばかりいないでこの本を読め」と、落合信彦さんの著書『狼たちへの伝言』を薦めてくれました(落合信彦さんは世界を飛び回って活躍する国際ジャーナリストであり、今”時の人”であるメディアアーティストの落合陽一さんの父親でもあります)。本を読んで衝撃を受けました。戦後まもない時期、母親の屋台を手伝いながら苦学をし、アメリカ留学を実現。勉学に励みながら数々のビジネスを立ち上げ、その後ジャーナリストとして文字通り世界を股にかけて活躍してきたストーリーが、とても刺激的だったんです。

「生きるということは攻めることだ。防御的な人間におもしろいヤツなんていない。」
「人の力をあてにせず、誰にもぶら下がらずに生きていく、孤高の狼になれ!」
本に書かれていたこれらの言葉は、強く印象に残りました。落合さんのように世界を股にかけて活躍し、一度しかない人生を攻めまくろう!と決意し、就職活動では海外ビジネスに携われる環境を求めて商社を志望します。

入社を決めたのは、アガスタという中古車輸出をメイン事業とするベンチャー商社。当時はまだ社員が5名というアーリーフェーズです。そして海外事業による売上が100%という、まさに希望通りの条件でした。同期入社の内定者は僕を含め8名いて、みんな将来起業を計画している猛者ばかり。「絶対に1番になってやる!」と意気込んでいましたが、内定者が集まった研修会で発覚した問題が1つ……。僕以外は全員が帰国子女または英語圏で留学経験のあるメンバーばかりで、英語をすでに習得していたんです!

それまで海外経験がなく、「これではスタートから差をつけられてしまう」と危機感を抱いた僕は、入社する前にバックパッカーとしてヨーロッパへ旅に出ました。ヨーロッパを選んだ理由は、子どもの頃から大好きなサッカーが盛んな地域の文化に直接触れたかったからです。最初の国に選んだのはイギリス。ロンドン、バーミンガム、マンチェスター、エジンバラなどの各都市に滞在し、様々な場所を観光しました。宿泊先は全て1泊二千円ほどのドミトリー式のユースホステルです。道を尋ねるときのちょっとした会話や、日本とは全く異なる市街や建物の構造、夜のスポーツバーで味わう異様な熱狂など、すべてが新鮮でとても刺激的でした!その後もイギリスだけでは飽き足らず、フランス、ベルギー、オランダを続けて旅しました。このときの興奮が、その後の人生でずっと国外を舞台にビジネスに取り組み続けることになった僕の原体験です。

《アガスタ〜独立時代》

超ハードワークで鍛えられた 社会人1年目

アガスタに入社すると、1日16時間勤務で世界各国を相手に中古車販売の海外営業を行う、ハードワークの日々が始まります。アガスタを創業した20代の社長は、コンサルティングファーム出身で英語が堪能、女性ながら1人で海外に切り込んで顧客を次々に開拓する、凄腕のキャリアウーマンでした。内定者時代から何十冊もビジネス書を読まされ、報告書を求められる課題が出されるなど、彼女の近くで社会人のキャリアをスタートできたことは、非常に貴重な経験でした。

日本製の中古車は世界中どの地域でも人気で、引き合いがあります。そのため、地球の東から西へと、各国のコアタイムに合わせて時間帯をずらして営業をかけるのが、1日の基本スケジュールでした。
朝8時に出社すると、まず日本より時間が早いニュージーランドやフィジーに営業。10時すぎには国内の業者へ仕入れ営業。ランチを15分で済ませたあとは、午後一でオーストラリア、マレーシア、スリランカなどへ営業。夕方にはさらに西のドバイ、キプロス、ケニアへ。19時には一旦資料作成や、各国の車両トレンド分析といったマーケティング業務をこなし、上司への報告と鬼のように厳しいフィードバック……。そして21時以降は、チリ、カリブ海諸国などに営業。最後に請求書作成や陸送の事務処理なども自分で行い、毎日全ての業務を終えた頃には日付が変わっていました。

とてもハードな環境だったので、電話の保留音を聴きながら寝てしまう同僚もいましたし、短期間で根をあげて退職してしまう同僚も多くいました。僕はがむしゃらに働き続け、会社全体で月間230台の販売台数のうち150台を自分が販売するという好成績を残せるまでにメキメキと実力をつけます。実績を評価され、入社から半年後にはマネージャーに就任。国内外の営業、マーケティング、貿易実務、事業開発など、中古車輸出事業に必要なあらゆる業務スキルを1年で身につけて退職しました。

退職後は個人事業主として独立し、1人で海外への中古車販売を継続しました。会社の組織に頼らずとも、自分の力だけでビジネスを成立させられるまでに成長したのは、社会人1年目に無我夢中で働き、成長を志向し続けた結果です。このときに得た経験は「これからどんな企業・どんな環境に身をおいても絶対に負けない」という自信に繋がっています。